(読むな、危険)

 なんというか、俺って傲慢なんだなぁ、とか、そう思う。

 自分の能力が、低いことが耐えられない、のかもしれない。
 あるいは、自分より高い能力を持った人がいることが、耐えられないのかもしれない。

 人がわかるのに、自分がわからないことがあるのは、悔しい。
 人が出来るのに、自分が出来ないのは、嫌だ。

 傲慢が一番、表現として、正しいと思う。

 絵を描いたとき、誰かより自分のほうがいい絵を描きたいと思う。

 ただ、いい絵、悪い絵、の価値観は自分であって、本気で、心のそこから自分の絵が素晴らしいと思えれば、周りは、どうでもいい。

 音楽だってそうだ。

 最近思っていることは、順番に捨てていって、最後に残った一つのものには、なれるんじゃないかと思う。(いろんな意味で)

 要するに、趣味を捨てて、睡眠時間に、人間関係、欲とか感情とか、全部捨てて一つのことに打ち込めば、それは極められるんじゃないかと。

 (―大体、今まで生きてきた中でいくつのものを捨ててきた?)

 ああ、そうだな、楽しんでできるとか、好きだからできるのはいいとおもう。

 でも、完璧になれるのかな。(確立ではなく、割合ね)


 ―何か、いい物を見て感動した後、いっつも思う。
 ―悔しい、と。

 (贅沢だな、畜生。)

 それなら、もう感動することをやめれば、興味を失えば、楽になれるかもしれない。

 でも、嫌だ。
 まだ、諦めたくない。

 そして、戦いにおいて、諦めるという戦い方は、おそらく、存在しない。

 ただ、素直に感動できるというのは、いいことだと思う。
 まだまだ、というか、全然いけるんだと思う。

―そもそも、自分には才能が一つもない、と泣いていたあの少年は誰だった?そのあとすぐに絵で賞をもらって、新聞に載った少年は?他もいっぱいあるぜ。

 人間諦めなければ、まだまだわかんねぇ、とか、そう思う。
 幸い、体力が要らないことばっかりだ。
 ああ、楽器は、いるかな。でも、なくてもなんとかなるだろ。

 あと50年でも100年でも、感動よ、かかってこい。

 俺はいつかその全てを越えてやるぜ。ケケケ

 I want to become.

 (いや、まぁ、うん、精神的にね、そんな感じだった。)

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